【広島県広島市】重量物運搬解体撤去据付/高所作業/工場店舗の引越、移設、レイアウト替/コロ引き/トラック/ユニック/クレーン
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〒733-0035 広島県広島市西区南観音1-8-31
創業者の先祖が広島に根を下した地は「広島市観音村沖新開」と呼ばれ、家が八軒しかなかったと聞いています。
1945年(昭和20年)8月6日8時15分、広島に世界で初めて原子爆弾が落とされました。
創業者 橘 義夫は、原爆が落とされてから二十日後に戦地から復員して、一面焼け野原の広島駅に着き、
原爆ドームの前を通って爆風で傾いた自宅までクスノキを目印に歩いて帰ったと言います。
創業者は車が好きで、これからは馬車や荷車に代わり車で物を運ぶ時代だと、
1953年(昭和28年)「ご縁 感謝 信頼」を創業の精神として、
妻ヒロ子とともに生まれ育った地に、被爆クスノキのある運送店「橘運送店」を創業しました。
荷物の往来の多い宇品港へ行き、港湾荷役の請負業をされていた北恵好照氏との出会いのご縁から、
鋼材を運搬する仕事を始めました。
昭和30年代、JR三江線の式敷(しきじき)駅へアングルを運搬していた時の事だそうです。
久地を通り布野へ渡る吊り橋が積荷の重量で落ちる危険があると判断した創業者は、
先に北恵氏に歩いて渡ってもらい、その後ゆっくりトラックで無事に渡りきったそうです。
帰りには、農家で畳の芯にするワラの束を買い、広島の畳屋さんへ売っていたと北恵氏から伺いました。
トラックへの積込手段のクレーンもない時代、北恵氏とともに積込方法や積込道具を工夫して作ったそうです。
初代トラックの写真も北恵氏撮影によるものです。良き出会いのご縁に感謝です。
[左上]「たちばな」と平仮名で書いた2台目のトラック
[左下]初代クレーン車
創業者 橘 義夫(中央)とその父が「Tachibana」と書いた初代トラック
~広島県廿日市市 速谷神社にて 1953年(昭和28年)~
明治初期、海上輸送が主流だった頃、天満川の雁木(がんぎ)(舟着き場・石階段)の目印として、雁木に近い橘の敷地にクスノキが植えられたと聞いています。
昭和初期、雁木から天満川に降りて野球をしたり、カブトガニの尻尾を持って水切り(水面飛ばし投げ)で遊んだと創業者は言っておりました。
戦時中に三菱重工ができ、川を掘り下げたためカブトガニも上がって来なくなったそうです。
2004年(平成16年)に南観音橋が架かり、今はその雁木の姿はありません。
1945年(昭和20年)8月6日8時15分、広島に世界で初めて原子爆弾が落とされ、当時推定樹齢90年のクスノキも被爆しました。
原爆ドームに面した側のクスノキの大枝は焼け落ち、年月が経ち、残りの枝が伸びてきたと聞いています。
クスノキは、車庫の中央にあるため伐採の話も出ましたが、先祖が植えたクスノキを残し、次世代に繋ぐ事に決めました。
大型特殊クレーンや大型トラックが通ることもあり、クスノキにとっては環境が厳しい状態です。
樹木医に診ていただいたり、広田造園さんに樹勢改良・土壌改良工事を行っていただいたり、できる限りを尽くしております。
(参考:『広島市の木』はクスノキです)